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大阪高等裁判所 昭和32年(ネ)1017号 判決 1965年4月27日

控訴人 山中末吉

<外二名>

右三名訴訟代理人弁護士 富田貞男

服部恭敬

右訴訟復代理人弁護士 伴喬之輔

東野俊夫

被控訴人 黄萬居

右訴訟代理人弁護士 福岡福一

鎌田杏当

主文

原判決中控訴人(附帯被控訴人)山中、同内藤関係部分を取消す。

右控訴人等に対する被控訴人(附帯控訴人)の請求(附帯控訴による分を含む)を棄却する。

控訴人(附帯被控訴人)松本の本件控訴を棄却する。

原判決主文第一項中控訴人松本関係部分を左の通り変更する。

控訴人松本は被控訴人に対し別紙物件目録五の建物を収去してその敷地一五坪を明渡し、昭和二八年一月一日より同年一二月三一日まで一ヶ月二、九六五円九二銭、昭和二九年一月一日より同年一二月三一日まで一ヶ月七、〇七五円五〇銭、昭和三〇年一月一日より昭和三二年一二月三一日まで一ヶ月七、二四〇円二〇銭、昭和三三年一月一日より昭和三五年一二月三一日まで一ヶ月七、九八一円五〇銭、昭和三六年一月一日より昭和三八年一二月三一日まで一ヶ月八、四五〇円七七銭、昭和三九年一月一日より明渡済に至るまで一ヶ月金四〇、〇〇八円六一銭の各割合による金員を支払え。

被控訴人の控訴人松本に対するその余の附帯控訴請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じ、被控訴人の支出した費用を五分しその一を控訴人松本の負担とし、控訴人山中、内藤の支出した費用は被控訴人の負担とし、その余は各自の負担とする。

事実

控訴人ら(附帯被控訴人以下単に控訴人と称する)訴訟代理人は原判決を取消す、被控訴人の請求を棄却する、訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする旨の判決を求め、被控訴人(附帯控訴人以下単に被控訴人と称する)代理人は、控訴人等の控訴を棄却する、控訴費用は控訴人等の負担とする旨の判決を求め、請求の趣旨を控訴人内藤友子は別紙物件目録三の建物を収去してその敷地一五坪を明渡し且つ昭和二八年一月一日より同年一二月三一日まで一ヶ月金二、九六五円九二銭昭和二九年一月一日より同年一二月三一日まで一ヶ月金七、〇七五円五〇銭、昭和三〇年一月一日より昭和三二年一二月三一日まで一ヶ月金七、二四〇円二〇銭、昭和三三年一月一日より昭和三五年一二月三一日まで一ヶ月金七、九八一円五〇銭、昭和三六年一月一日より昭和三八年一二月三一日まで一ヶ月金一二、三四五円、昭和三九年一月一日より明渡済に至るまで一ヶ月金四〇、〇〇八円六一銭の各割合による金員を支払え、控訴人山中末吉は別紙物件目録四の建物を収去してその敷地一〇坪を明渡し且つ昭和二八年一月一日より同年一二月三一日まで一ヶ月金二、六六四円三九銭、昭和二九年一月一日より同年一二月三一日まで一ヶ月金四、七一七円、昭和三〇年一月一日より昭和三二年一二月三一日まで一ヶ月金四、八二六円八〇銭、昭和三三年一月一日より昭和三五年一二月三一日まで一ヶ月金五、三二一円、昭和三六年一月一日より昭和三八年一二月三一日まで一ヶ月金八、二三〇円、昭和三九年一月一日より明渡済に至るまで一ヶ月金二六、七二四円一〇銭の各割合による金員を支払え、控訴人松本作次に対しては、主文第五項記載通り(但し昭和三六年度より昭和三八年度迄の金員については月一二、三四五円を求む)と各変更した。

≪以下省略≫

理由

第一、被控訴人の控訴人山中及び内藤に対する請求について、

≪証拠省略≫を綜合すると、別紙物件目録記載(七二番地とあったのを七二番地の一と訂正した外は原判決添付目録記載と同じ)の各土地(内藤につき目録物件三、山中につき同四の各敷地)上の訴外岩井豊治所有の罹戦災家屋中別紙図面(原判決添付図面と同じ)(ハ)の部分に所在したものについてはもと明治年間より控訴人友子の祖父岩井金兵衛が所有者より賃借し「大江ずし」なる名称ですし屋営業をしていたが、明治四〇年頃金兵衛死亡し、岩井喜八がそのあとを継ぎ、次いで同人も昭和五年頃死亡して友子の母内藤たまがそのあとを継いだが、同人も昭和一九年頃死亡し控訴人内藤がそのあとを継ぎ罹災まで賃料も同控訴人が支払っていた。そして終戦後昭和二〇年一二月下旬に控訴人内藤は罹災地上に地主岩井の承諾をえて建物を建ててこれを所有し昭和三二年頃まで喫茶店を経営していたが、その後は丸善テーラーなる洋服商に店貸しして共同経営し現在もその家屋に居住している。また別紙図面(ニ)の部分に所在したものについてはもと明治年間より控訴人山中の師匠松木寅吉が所有者より賃借し理髪業を経営していたが、昭和九年頃控訴人山中において右営業を譲受け爾来罹災に至るまでの賃料を控訴人山中が支払った。そして終戦後昭和二一年四月中に同控訴人は罹災地上に建物を建て理髪業を継続している事実が認められる。してみれば家屋賃借権は「大江ずし」または理髪業の各経営者に転々継承せられたものであって、訴外岩井豊治においてその継承者より賃料を受取っていた以上右賃借権の譲渡の承諾をしていたものというべく、控訴人内藤、山中は共に罹災当時罹災各家屋のそれぞれ賃借人であったものと認むべく、右認定を覆すに足る程の反証はない。然るところ右各家屋が昭和二〇年六月一日戦災で消失したこと、被控訴人は岩井豊治より本件土地を買受け昭和二一年七月一一日移転登記をしたこと、昭和二二年五月下旬右控訴人等が被控訴人に対し法(罹災都市借地借家臨時処理法―編註)第二条に基く賃借申出をなし右申出がその頃被控訴人に到達したことは当事者間に争はないところであるから、右控訴人等は法第二条にいうところの「罹災建物が滅失した当時におけるその建物の借主」に該当し、申出当時の土地所有者たる被控訴人に対し賃借申出をしたものであるから、右両名において土地の賃借権を取得することを阻止する事由がない限り右賃借権を取得したものというべきである。

二、よって以下被控訴人主張の順序に従いその抗弁につき考える。

(一)被控訴人の当審における(三)の(1)の主張について。本来令(戦時罹災土地物件令―編註)第四条による敷地使用権は滅失当時の建物居住者に令第三条の借地権の停止期間中本建築物所有以外の目的のため建物敷地の使用を認めたところの極めて臨時応急の立法にすぎなかったので、これに関する善後措置を講ずる必要があったのと、それとは別に罹災者の保護の必要、罹災都市における土地建物に関する法律関係の整備等の観点から、新に罹災建物若くは疎開建物の従前の借主等を保護の対象として法が制定せられたものなることは法第二条の申出権者を令に基く敷地使用権者に限定する趣旨の制限をおかず、却って法第二九条第三二条により令第四条による敷地使用権者をも法第二条による申出権者として認めている点から明らかであって、法第二条の申出権者には令第四条による敷地使用権を取得したことを要件とせず、法施行の日(昭和二一年九月一五日)までこれを保有したかどうかを問うところでないと解するのが相当であり、罹災建物の焼失当時の賃借人でさえあればその者が後に(法施行前)地主との間に土地使用貸借契約を締結しても、そのことが法による賃借権取得の機会を失うこととはならず(東京高裁昭和三〇年(ツ)第二一号土地明渡請求上告事件同年七月一五日判決判例タイムズ五五号三七頁参照)、また本件で控訴人等が被控訴人の前主岩井に対し使用借権を有したからとて被控訴人に対してこの権利を対抗できず(いわんや本件においては被控訴人主張の使用借権は岩井が被控訴人に対し土地を売渡すと同時に消滅するものである。)従って賃借申出の利益なしなどとは到底いえたことではない。被控訴人主張の前記(三)(1)の見解は独自のもので採用することができない。(二)被控訴人の当審における(三)の(2)の主張について。当裁判所が職権を以てなした調査嘱託に対する大阪府知事の回答によれば、戦災都市における建築物制限に関する件の施行(昭和二一年八月一五日)前には旧市街地建築物法第三条同法施行令第二条の制限(商業地域の指定)があった事実が認められるが、前に認定したように控訴人山中、内藤はそれぞれ本件土地上で理髪業または喫茶店営業をなすため本件建物を築造し、その後控訴人山中は理髪業を継続し、控訴人内藤は他人に賃貸して洋服商を共同経営しているもので右建物建築は旧市街地建築物法の制限に触れることなく、従ってまた法第二条第一項但書後段にも該当しないものと解すべく、更に右建築物制限令は、前認定のように右控訴人等がいずれも制限令施行以前である昭和二〇年一二月中または昭和二一年四月中に本件家屋築造を完成したものである以上その適用の問題を生ずることなく、更にまた前記知事の回答によれば、本件土地は一旦制限令による戦災復興都市計画区域に指定せられたが、昭和二四年六月右区域より除外せられたことが認められ、被控訴人主張のような除却命令が発せられるおそれがあるとは認められない。他に本件土地上の建物築造につき法令の許可を要する場合に該当するものと認むべき根拠もないから、結局被控訴人の右主張も採用することをえない。(三)被控訴人の当審における(三)の(3)の主張について。本件土地は大阪屈指の場所で地価も高く高層建築物建設用地として利用するに相応しく、現在の木造建物をそのまま存置することは不経済で美観を削ぐことは、当裁判所に顕著である。また被控訴人において若し本件土地の明渡しを受けられたならば、ここに目下経営中の中華料理店大東楼の敷地をも含めて高層建築物を建てる計画である事実は、当審証人村上輝正の証言と当審における被控訴本人尋問の結果によりこれを認めることができる。併し前認定のように、控訴人山中においては、久しい以前より本件土地上の建物を賃借してその師匠の経営して来た理髪業を続け、また控訴人内藤においてはこれまた明治年間より同じく「大江ずし」としてすし屋営業を続けて来た近親者の賃借権を継承して来たがいずれも不幸にして終戦直前罹災したが、直に復興を企図して前記のように各家屋を築造し控訴人山中においては理髪業を控訴人内藤においては喫茶店営業を(後に洋服商に賃貸し共同経営となる)しているもので、一方において被控訴人は本件土地の明渡しを受け、その計画を完成すれば、大阪屈指の土地に相応しい高層建築物より受ける利益は莫大であると認められ、本件土地は将来においてこのような利用方法に適すると認められるけれども、他方法により保護せられて土地賃借権を保有する控訴人両名の生活上営業上の利益を犠牲として、被控訴人が控訴人等の賃借申出当時(その当時は復興が始まったばかりで都市の美観などを云々すべき時ではなかった。)直にこの土地の明渡しを受けねばならぬ必要性があったことは本件に顕れた全証拠を以てしても(被控訴人が甲第一号証の契約を信じて本件土地を買受けたとしても)これを認め難く、結局当時被控訴人には右控訴人等の賃借申出を拒絶する正当事由はなかったものというの外はない。よって被控訴人の右主張は採用し難い。以上被控訴人のいずれの抗弁も理由なく右控訴人等は法第二条による本件土地賃借権を取得したものである。

三、次に被控訴人は右控訴人等が法第二条による賃借権を取得したとしても既に期間満了し消滅している旨主張するから按ずるに、右控訴人等が賃借申出をしたのは昭和二二年五月二六日でその書面が被控訴人に到達したのが同月二八日であることは、≪証拠省略≫により明なるところ、法第二条により設定せられた賃借権の存続期間は一〇年(法第五条)を以て満了すべく、従って申出が効力を生じた昭和二二年五月二八日から一〇年を経過した昭和三二年五月二八日を以て本件土地の賃借期間は一旦満了すべきところ、この場合の期間満了に際しては借地法第六条法定更新の規定の適用があり(これに反する被控訴人の見解は採用し難い。)、右控訴人等がその築造の建物を引続き本件土地上に保有し前記各事業を継続していることは前認定の通りであるから、少くともその後二〇年間(借地法第六条第一項)は賃貸借契約が当然更新存続するものというべきである。被控訴人は借地法第六条第二項第四条第一項但書規定の自己使用の必要その他正当の事由があるから異議を述べたと主張するけれども、右更新当時においては戦争直後の混乱時代とは異り御堂筋に面した本件土地についての前認定のような状況は益々その歩みを進めたとはいえ、未だ以て右控訴人等の本件土地上に有する法の保護する正当な利益を無視して可なりというに足るものとはいえず、右控訴人等の木造建築が場所柄著しく不適当であっても、それの除去や、代りのものの新設などは主として行政上の公益の面からの配慮がなされ適切な措置が講ぜられて然るべく、私益上の観点から見るときは、被控訴人が高層ビルを建築して得る利益は、いまだ以て多年本件土地上で生計を営んで来た右控訴人等の利益を犠牲とするの正当性を有しない点において一〇年間の賃借申出の時と同じと判断するのが相当である。よって被控訴人の右主張もまた採用し難い。

四、次に被控訴人は右控訴人等に対し昭和三九年五月一六日到達の内容証明郵便で、到達後五日以内に固定資産税評価額の一〇〇〇分の三に該当する従前賃料を催告し、之に応じないときは賃貸借が存していても、催告期間の満了と同時にこれを解除する旨の意思表示をしたのに、控訴人山中は履行の提供をせずして無効の供託をなし、控訴人内藤は何等履行の提供をせず、よって賃貸借は同月二一日を以て終了した旨主張するから按ずるに、被控訴人の右主張はその主張の時々の固定資産税評価額の一〇〇〇分の三の額が当然に本件賃貸借における地代を決定するものなることを前提とするものなるところ、本件賃借申出当時(昭和二二年五月下旬)においては全面的に地代の統制がなされており、その額も極めて少額のもの(その正確な額は明らかでないが昭和二二年から昭和二八年までは戦後のインフレの甚しかった時代で後に認定する昭和二八年度の控訴人松本関係の統制地代月五、四二三円と控訴人内藤においては同額、控訴人山中においてはその三分の二の額よりも遙かに低い額であったもの)であったのであり、原則として地代はその額を超えることをえなかったものでその後の値上げは、法第一七条の手続きによりまたは借地法第一二条に準拠し(地代統制存続中は統制額の範囲内で)てなさるべく、本件のように被控訴人は右控訴人等との間に土地賃貸借契約存せずと主張して多年抗争しその間地代値上げについて何等の措置もとられていない事案において、被控訴人が突如として一〇〇万円内外の延滞地代ありとしてその支払を催告しても、その催告は過大催告(昭和二三年一〇月九日物価庁告示一〇一二号によれば統制地代の最高は年額坪当り二九六円八〇銭でこれを基準として考えると約二〇倍の過大催告となる)として無効であるばかりでなく、控訴人等と近隣にあって略同一の関係の下にあった弁論分離前相控訴人中川、香田両名は被控訴人より控訴人等と同時に多額の地代支払の催告を受け催告額の全額を提供したに拘らず受領を拒絶せられた関係にあることは当裁判所に顕著であってこのような事実からすれば控訴人等が正確な地代を提供したとしても被控訴人においては受領を拒絶することが明かでこのような場合には提供しなくても履行遅滞の効力を生ずるものでなく従って本件賃貸借は右条件付解除により終了してはいないものと判断するのが相当であるから被控訴人の右主張もまた採用することができない。

してみれば被控訴人の右控訴人等に対する本件建物収去土地明渡し並びに損害金請求は、爾余の争点に関する判断をまつまでもなく失当であり、これをたやすく認容した原判決はこれを取消し、右被控訴人の請求を棄却する。

第二、被控訴人の控訴人松本に対する請求について。

被控訴人が訴外岩井豊治より本件土地(別紙物件目録五の土地)を買受け昭和二一年七月一一日移転登記をしたことは当事者間に争ない。控訴人松本は訴外佐野恭五郎の娘婿で、本件宅地一五坪は松本と佐野が共同して岩井より建物所有の目的で期限の定めなく賃借し、本件収去を求められている家屋も両者共同で建築したものである旨主張し、≪証拠省略≫中には右主張に副う証言部分もないわけではないが、右家屋が松本の所有なることは原審で認めていたところなるのみならず≪証拠省略≫によれば、右家屋は控訴人松本がその妻の父に当る大工佐野恭五郎をして建築せしめたものでその費用は全部同控訴人が支出しており右家屋は控訴人松本の単独所有であると認められ、また≪証拠省略≫によれば、控訴人松本が本件家屋を本件宅地上に建築するについて右佐野恭五郎を介し当時の地主岩井豊吉の承諾を得た事実はこれを認めることができるけれども、控訴人松本主張のような賃貸借が成立した事実はこれを確認するに足る証拠がない。却って≪証拠省略≫によれば、甲第一号証成立当時(同号証はその日付よりは大分遅れ昭和二〇年の末頃までにできたもの)岩井豊治の代理人として行動した岡田長四郎は主人岩井より本件土地上にバラックを建てることを許してもよいが賃料の取極めはしてはならないといわれており、また右甲第一号証には控訴人松本の関係で佐野恭五郎が関与しているものと認められるが、同号証自体使用貸借契約書なることが明らかである。してみれば同控訴人主張の賃貸借の成立事実はこれを認めることができず、よって他に控訴人松本が被控訴人所有地上に本件家屋を存置するにつき何らかの正当権原を有するならば格別そうでない限り同控訴人は本件家屋を収去し、土地を明渡し且つ損害金乃至不当利得金を支払わねばならない。よって以下同控訴人の抗弁につき判断する。同控訴人は被控訴人の本訴請求は権利の乱用であると主張する。併し≪証拠省略≫によれば、控訴人松本は戦後始めて本件土地に関係を持ったものであってその建築にかかる家屋を所有する権原も使用貸借関係にすぎぬものなること前認定の通りなる以上、その敷地を買受け所有権を取得した被控訴人より明渡し請求を受けることは当然のことであって、この家屋に居住して名刺印刷業を営む控訴人松本または菓子業を営む佐野が明渡しによって被る損害もさることながら、それは不確実な権利の上に築いた楼閣にすぎず自ら招いたところであって、これを正当な所有権を行使しようとする被控訴人に対し権利乱用呼ばわりをすることはできない。次に控訴人松本は前記甲第一号証の契約は錯誤により無効であると主張するが、仮に錯誤で無効であるとしても、それは松本の関係者佐野恭五郎において岩井に対し使用借権をも失う関係となるにすぎず、そこから積極的に賃借権が生じて来るいわれもない。控訴人松本は更に甲第一号証には借地部分の特定がなく、連帯して借地するが如きことは法律上成立しえず無効であるとするが、仮にその通りであってもそのことから賃借権が生じて来ないことは前同様で特にこの点につき判断の要を見ない。更に借地人六名が連帯して借地した以上他の者の有する権利は控訴人松本において亨受しうると主張するが、連帯して借地するとある意味をいかように解するにせよそのことから前掲甲第一号証契約上連帯借主となっている佐野においては格別、連帯借主となっていないこと同号証により明らかな控訴人松本が直接他の連帯者の権利を享受しうることはありえないし法による賃借権は同控訴人の抗弁するところでないからこの点の同控訴人の主張も失当である。更に同控訴人は被控訴人が建物収去土地明渡しを求めるには岩井豊治の承継人として補償を支払わねばならず建物を買取る義務があると主張する。この主張はそれ自体本訴といかなる関係を持つのか明らかでなく失当であるがこれを同時履行の抗弁を主張するものと善解してみても、岩井豊治から本件土地を買受けたにすぎぬ特定承継人たる被控訴人が包括承継人のようにその義務を引継ぐ根拠なく、また土地につき借地権(賃借権または地上権)を有しない同控訴人に建物買取請求権などあろう筈がない。以上同控訴人の抗弁は悉く理由なく、同控訴人は本件家屋を収去して敷地を明渡し且つ損害金又は不当利得金(この点についても損害金の請求は当審で新に附加せられたもので請求の基礎に変更があり許されないと主張するけれども、所有権に基き不法占拠を理由とする建物収去土地明渡し請求に土地所有権侵害による損害賠償または土地の不法使用による不当利得請求を追加することは請求の基礎に変更なく控訴審においてなされる場合でも許容すべきものである。また損害金に対する時効の抗弁についても控訴人主張の時期以前の分については被控訴人においてその請求原因を変更し不当利得金の請求を為すものでこれについては時効の援用なく右認定の事実関係の下においては控訴人松本は不当利得として適正なる地代相当金の全額を返還すべきものである)を支払わねばならない。よって進んでその額を按ずるに、本件土地なる別紙物件目録中七一番の一宅地(二九坪九合四勺)及び七二番地の一の各年度の固定資産評価額はそれぞれ別表の通りであることは≪証拠省略≫により明らかであるところ、≪証拠省略≫によると七一番地の一宅地二九坪九合四勺については昭和三三年度以降七〇番地の一宅地一七坪一合一勺乙七〇番地の一宅地三二坪八合九勺六九番地の一宅地二一坪五合五勺乙一六番地の一宅地二七坪三合七勺と一括評価されているのでこれを按分すると昭和三三年度より昭和三五年度分迄二、〇〇五、九七五円余昭和三六年度より昭和三八年度まで二、一八二、六〇四円余昭和三九年度一、三八二、五四九円余となり、なお本件土地の全部は七七坪(弁論分離前の相控訴人の分も含む)なるところ、≪証拠省略≫によれば、七一番地の一と七二番地の一の公簿面上の坪数は七一坪五合三勺で五坪四合七勺の端数がありこれについては評価の低い七一番地の一の評価額から算出した評価額を合算し、これを七七坪で除して一坪当りの金額を算出し、これを控訴人松本の占有地一五坪に乗じその一〇〇〇分の三を一ヶ月地代相当額として算定すると、昭和二八年度月五、四二三円余昭和二九年度月七、〇七八円余自昭和三〇年度至昭和三二年度月七、二五五円余自昭和三三年度至昭和三五年度月七、九八七円余自昭和三六年度至昭和三八年度月八、四五〇円七七銭昭和三九年度以降月四〇、五八六円余となり昭和三六年から昭和三八年迄の分を除きいずれも被控訴人主張の価額を超過することが明らかである。よって被控訴人の控訴人松本に対する請求は右昭和三六年から昭和三八年までのものにつき月八、四五〇円七七銭に制限する外全部これを認容し、右制限した分についてはそれを超える請求を棄却し民事訴訟法第三八四条第三八六条第八九条第九二条第九五条を適用し主文の通り判決した。

(裁判長裁判官 宅間達彦 裁判官 増田幸次郎 島崎三郎)

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